丹波道主王女 夜知姫と狭穂彦命女 角姫『粟鹿大明神大神元記』①
丹波道主王女 夜知姫と狭穂彦命女 角姫『粟鹿大明神大神元記』①

丹波道主王女 夜知姫と狭穂彦命女 角姫『粟鹿大明神大神元記』①

兵庫県神社庁は、粟鹿神社 のある但馬國朝来郡、粟鹿山麓の粟鹿郷を「日子坐王終焉の地」としている。粟鹿山麓粟鹿郷は、王薨去終焉の地で、粟鹿神社裏二重湟堀、現...

『古事記』でも大筋は同じ。天皇の夢枕に大物主神が現れ「意富多々泥古に自分を祭らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べている。ただ、『記』は「神の血を引く子」で、大物主大神と、陶津耳命 すえつみみのみこと の女活玉依毘売 いくたまよりびめ の三代目の孫との出自と、活玉依毘売がどうして神の子を産んだのか、という物語も加えられている。いずれも崇神天皇が大和國三輪山の神を祭ることで、大物主神の祟りは鎮まったとなっている。

第十八代 大田田根子 が崇神朝の人物であれば、第十四代 耶美賀乃許理の妻となっている丹波道主王の女、 夜知姫(大知姫命) はいつの時代の人物かと疑問に思うのは当然。 疑問② 夜知姫(大知姫命)の名の由来

夜知姫 やちひめ (大知姫命 おおちひめのみこと )の名を朝廷別王の妹、伊佐姫のとき(➡「伊佐姫」そして「神明山古墳」に眠る三代目丹波道主「朝廷別王」)のように地名から追ってみたが、合致するものはなかった。

だが、タニハには、由良川上流部に「和知 わち 」なる地名がある。船井郡の最北端に位置し、北は何鹿郡、東は北桑田郡と接しており、河川の河岸段丘にわずかな平地が開けているが、大部分は山林地帯。ほぼ中世の和智上荘の地域。また、舞鶴市には大内地区(大内野町)があり、古代は加佐郡大内郷だった。現在はオオウチと発音しているが、古来はオオチの訓みだった可能性はないだろうか。このように記してしまうとこじつけになってしまいかねないので、不明なものは不明のままにしておきたい。

どちらにしても大内郷内には「余内 あまうち 」「池内 いけうち 」といった地名が現存しており、 ~チ は「オロチ」 なる古語にも示されるように 水や蛇、金属に関連する古語 だったのだろうと思う。 疑問③ 夜知姫(大知姫命)の系譜 丹波道主王には多数の女子(娘)がいたとみられる。

『古事記』開化段 日子坐王系譜美知能宇志王、娶丹波之河上之摩須郎女、生子、比婆須比賣命、次眞砥野比賣命、次弟比賣命、次朝廷別王。 四柱 。此朝廷別王者、三川之穗別之祖。『古事記』垂仁段又隨其后之白、喚上美知能宇斯王之女等、比婆須比賣命、次弟比賣命、次歌凝比賣命、次圓野比賣命、幷四柱。然、留比婆須比賣命 、弟比賣命二柱而、其弟王二柱者、因甚凶醜、返送本土。於是、圓野比賣慚言「同兄弟之中、以姿醜被還之事、聞於隣里、是甚慚。」而、到山代國之相樂時、取懸樹枝而欲死、故號其地謂懸木、今云相樂。又到弟國之時、遂墮峻淵而死、故號其地謂墮國、今云弟國也。『日本書紀』垂仁天皇 十五年春二月乙卯朔甲子喚丹波五女、納於掖庭。第一曰日葉酢媛、第二曰渟葉田瓊入媛、第三曰眞砥野媛、第四曰薊瓊入媛、第五曰竹野媛。秋八月壬午朔、立日葉酢媛命爲皇后、以皇后弟之三女爲妃。唯竹野媛者、因形姿醜、返於本土。

と、あり、丹波道主王の女子は、『記』には三名+四名、『紀』には五名の姫の名がみえる。 ・『紀』日葉酢媛=『記』比婆須比賣命…大后(後后) ・『紀』眞砥野媛=『記』眞砥野比賣命=『記』圓野比賣命…本國へ還される ・『紀』渟葉田瓊入媛=『記』沼羽田之入毘賣命…二名の男子 ・『紀』薊瓊入媛ー『記』弟比賣命=『記』阿邪美能伊理毘賣命…一男一女 ・『紀』竹野媛…本國へ還される ・『記』歌凝比賣命…本國へ還される←生家に戻り、竹野比賣を世襲したとみられる。(生母は河上之摩須郎女以外) 『記』では「圓野比賣」を、『紀』では「竹野媛」を自死した媛と記述している。 丹波道主命には、上記以外の姫も存在している。 ➡「伊佐姫」そして「神明山古墳」に眠る三代目丹波道主「朝廷別王」で記した朝廷別王妹の 伊佐姫 であり、彼女は物部本宗の物部胆咋に嫁いでいる。 以上、ここまで記しただけでも七名であり、今回の 夜知姫(大知姫命) も加えると八名となる。もちろん、同一人物を亦名で数えるなどダブルブッキングの可能性は十分あるだろう。 この夜知姫(大知姫命)は、第十四代神部氏 耶美賀乃許理命と婚し、宇麻志毛呂尼命(櫛越凝命)を生んでいる。

第十八代 太田田根子の児、大多彦命からは但馬國朝来郡に居を定めているが、耶美賀乃許理はどこに居住していたのか。太田田根子命、茅渟県(『紀』)あるいは美努村(『記』)に居住していたとされている。※太田田根子命は、崇神紀の記述から放浪の民かのような印象を受けるが、「オオ」は「大」で美称、「ネコ」は尊称であり、難波根子建振熊命や古代天皇の和風諱号に散見される。「タタ」は「田」の意味。

であるから、案外、タニハ(丹波、丹後、但馬の三丹地域)ではなく、畿内(河内、山代、大和)に居た可能性もあるのではないかと思う。 by 248jp | 2022-05-30 00:00 | 夜知姫 | Comments( 0 ) S M T W T F S 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31
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