【宝塚歌劇】切断事故で亡くなった香月弘美さんや慰霊碑についての解説
【宝塚歌劇】切断事故で亡くなった香月弘美さんや慰霊碑についての解説 「キエテナクナレーッ」 トランプの国の女王サマの怒声が、二千五百人の観客で埋まった宝塚大劇場に、凜と響きわたった。 このセリフをきっかけにして、女王サマの逆鱗に触れたトランプの国の恋人たち(松島三那子、香月弘美)を乗せた一号迫りが、約束通り、ヒューンというシャフトの金属音と共に奈落へ沈んで行った。
「キエテナクナレーッ」
トランプの国の女王サマの怒声が、二千五百人の観客で埋まった宝塚大劇場に、凜と響きわたった。
このセリフをきっかけにして、女王サマの逆鱗に触れたトランプの国の恋人たち(松島三那子、香月弘美)を乗せた一号迫りが、約束通り、ヒューンというシャフトの金属音と共に奈落へ沈んで行った。
いつものように。
と、次の瞬間、
舞台が激しく揺れ 「ギャーッ」というものすごい悲鳴が、まさに断末魔の 悲鳴が我々の耳に突き刺さったのだ。
引用:岸香織(著)「虹色の記憶」より
事故翌日のタカラジェンヌたち
痛ましい事故を目撃し、ショックを受けたジェンヌさんも多かったでしょう。事故当時の劇団関係者のコメント
まずは公演中の花組組長 打吹 美砂(うちぶき みさ)さんのコメントです。
「香月さんは日本舞踊の稽古場でよく見かけましたが、本当におとなしい、かわいい人でした。
一人だけのお嬢さんとかで、ご両親も力を入れておられた様子です。
なんといってお慰めしていいのか・・・」
ちなみに香月さんが亡くなった時に所属していた月組の組長は「沖ゆき子」さんでした。(1953年に月組組長に就任、 1962年に退任。その後専科に異動。) 沖ゆき子さんを始めとする月組生たちの事故直後のコメントは見つかりませんでしたが、同じ舞台に立ち続けた彼女たちの心の傷は、より深かったに違いありません。香月弘美さんが亡くなった事故の原因は?
このセリについては、春日野八千代さんも事故以前から危険を感じており、「あのセリは、私たちがずっと前から非常に危険だと感じていました。
セリとはいっても狭い矩形の板で幅3メートル、縦が1.2メートルくらいしかなくて、裾の直径が1.3メートルもある衣装で乗らなければいけなのです。
いつシャフトに裾が巻き込まれないかと、本当にヒヤヒヤでした。
だからそれが影響して演技にも身が入りませんでした」
事故当時に公演されていた「春の踊り、花の中の子供たち」とは
画像引用:「宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて」「春の踊り、花の中の子供たち」(26場)
画像引用:「宝塚歌劇100年史 虹の橋 渡り続けて」兄 (淀かほる) と妹 (夏 亜矢子) が童話の国で霊知のシンボル、パーニャの玉を探す。
香月弘美さんについて
本名は、小笠原 弘恵(おがさわら ひろえ)です。
香月弘美さんの葬儀・お墓・慰霊碑について
「めになみだ こよいは月のなきものを 香ふさくらが うすあかりせり 白蓮」
「昭和三十三年四月一日 大劇場の舞台の上に逝く 香月弘美 享年二十一歳 施工 本藤昌宏」