蝦夷地から北海道までの歴史をわかりやすく解説〜北の大地に夢を託して〜
蝦夷地から北海道までの歴史をわかりやすく解説〜北の大地に夢を託して〜

蝦夷地から北海道までの歴史をわかりやすく解説〜北の大地に夢を託して〜

今でも観光客が多く訪れている北の大地北海道。この北海道は本州とは全然違う歴史を歩んでおり、北海道独特の文化も成長していきました。 今回はそんな北海道がどのような歴史を歩んでいったのか?北海道が命名される瞬間や、北海道の開拓も踏まえて見ていこうと思います。 この記事の目次 日本人が来るまでの北海道の歴史 蝦夷地

こうして松前藩はアイヌ人との交易権を獲得しましたが、これを機に松前藩の商人と武士はアイヌ人に対して交易を強要。松前藩からしたらアイヌ人の交易が唯一の収入源だったため必死になっていましたが、アイヌ人からしたら我慢なりません。アイヌ人はこうした松前藩の横暴に耐えかねて遂に1669年にアイヌ人の首長であったシャクシャインの戦いが勃発。アイヌ人の抵抗は強く松前藩とアイヌ人は和睦しましたが、松前藩はこの時シャクシャインを謀殺してアイヌ人の反抗を鎮圧しました。

しかし、アイヌ人はへこたれません。1789年にはオホーツク海の商取引が横暴すぎるということが原因でクナシリ・メナシの戦いが勃発。しかし、日本人はこの反乱を抑えてこれを機にアイヌ人の組織的な反抗は途絶えることとなりました。

外国人がやってきた!ラクスマン来航とゴローニン事件

松前藩は蝦夷地における支配を確立しましたが、18世紀に入るとヨーロッパからアジアに勢力を伸ばす国が出現するようになります。その国こそがロシア帝国でした。ロシア帝国は一年間交易するための港を欲しかったため、千島列島から蝦夷地へと南下を開始。

1792年には根室にラクスマンが来航。1811年にはゴローニン事件が起こりにわかに蝦夷地を北方警備の拠点にしようとする動きが出始めます。江戸幕府はこの点から伊能忠敬や間宮林蔵などを蝦夷地に派遣。測量を行わせてさらに蝦夷地を松前藩のものから幕府直轄地に変更しました。しかし、ゴローニン事件以降ロシアは長崎に直接通商を求めるようになったため警備を緩めても良くなり最終的には蝦夷地は松前藩に返還。なんだかんだて3万石の大名として明治維新を迎えることになりました。