栃木、福島の戊辰戦争史跡
栃木、福島の戊辰戦争史跡

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2013.06/09(SUN)野村新平の墓 福島県昭和村矢ノ原湿原--------------------平成25年(2013)・ 6月 9日 田島から昭...

戊辰の役古戦場 野村新平の墓 明治元年(一八六八)旧八月二十三日、会津戊辰戦争で官軍が会津になだれ込んだ日である。 そして九月十日頃から、御親藩を始め加賀藩を主に各藩から約六百人の官軍が繰り込んで野尻郷各村(現昭和村) へ宿陣し警備についた。 九月二十四日朝八時頃、田島方面から進撃してきた会津軍の奇襲をうけ、官軍は敗走しこの道を下中津川方面へ退却した。 これを追って会津軍朱雀三番寄合組隊、鈴木隊長以下約二十五名がこの付近まで進撃して来た時、軍を立て直した官軍が逆襲し合戦となり会津軍は少数不利となり、大芦へ退却する。この時の戦で会津軍、野村新平ここで戦死する。星霜流れ一三〇年を経た。 会津藩士 野村新平 朱雀三番寄合組隊鈴木隊半隊頭 町奉行、二百石、二十五歳 明治元年旧九月二十四日大芦村矢ノ原にて戦死 平成十二年 五月

・野村新平 二百石/朱雀寄合三番鈴木隊半隊頭/明治元年九月二十四日会津大芦村で死/二十五歳--引用;幕末維新全殉難者名鑑----------------------また、「奥会津昭和の森キャンプ場」入口(R401号沿い)に墓碑がある 正面に 會津藩戦死二人之墓 向かって右面に 明治元年九月二十四日 〃 左〃 矢之原戦死 野村新平 屋敷原戦死 角田五三郎

会津軍は西軍の銃火に圧倒されて大芦村に退却したが、なお矢ノ原方面の山中から西軍の射撃をうけ、夕方には東方の浅布村をめざし退却した。そして大芦村の出口、屋敷原に留まって殿軍をつとめていた朱雀三番士中隊々士角田五三郎(つのだごさぶろう、23歳)は重傷を負い、同僚に介錯され死亡した(参考文献;「戊辰戦争全史(下)」菊地明/伊東成郎編)--------------------會津藩戦死二人之墓(2013.06/11)