「聖徳太子の地球儀」はオーパーツ?その謎にせまる
兵庫県の斑鳩寺には「聖徳太子の地球儀」とも呼ばれる地中石があります。この物体の材質や地図を分析したところ、さまざまな事実が次々と明らかに。オーパーツとのうわさの真相とは?
さらに近年、制作した候補者も浮上しています。 一説によれば、1712年に日本初の百科事典『和漢三才図絵(わかんさんさいずえ)』を編纂した医者の寺島良安(てらしまりょうあん)が作者だというのです。 事典に掲載された「山海輿地全図(さんかいよちぜんず)」が、地中石の地形とたいへん似ているからだとか。 山海輿地全図をまねて寺島良安以外の人が作った可能性もありますが、少なくとも江戸時代中期に作られたと考えられています。
太子は地球が丸いと知っていた!?
ムー大陸は一夜で消滅したという伝説の大陸で、存在が知られたのは20世紀になります。 前述の「山海輿地全図」にもムー大陸はありません。 江戸時代の人が知るはずのないムー大陸が「聖徳太子の地球儀」に描かれているのは大きな謎です。
実際に聖徳太子は「地球が丸い」ことを知っていたのではないかという逸話があります。 太子は幼いころ親にいたずらが見つかり、なぜ逃げないのか問われ「天に梯子(はしご)をかけても地に穴をあけても逃げきれないのでむだです」と言いました。 この受け答えが、地球が丸いため逃げきれないことを表わしたのだともいわれています。
また歴史的事実から考えても、地球球体説が聖徳太子に伝わっていた可能性があるようです。 紀元前から古代ギリシャなどではすでに球体説が普及し始めており、現存はしていませんが地球儀がすでに造られていたともいわれています。 そして西暦1世紀ころ古代ローマから中国の漢王朝に西洋の文化が伝えられた際に球体説も知られるようになり、のちに太子が中国との外交を通じて入手したというのです。
「聖徳太子の地球儀」を太子が作った可能性は現在みつかっていません。 その材質や地図の内容から江戸時代に作られたとするのが有力となっています。 ただ制作者が確定していないことから、オーパーツ説を信じる人も少なくないようですね。
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