加平天祖神社|足立区加平の神社
加平天祖神社|足立区加平にある加平天祖神社の案内、由緒と所蔵の文化財を新編武蔵風土記稿やブックレット足立風土記等からの引用を交えて紹介。嘉兵衛新田鎮守
天祖神社(加平3丁目5) 嘉兵衛新田の鎮守で祭神は天照大神です。もともと嘉兵衛新田の開発を進めた伊藤嘉兵衛の屋敷神を1610(慶長15)年に村の鎮守として祀るようになったと伝えられています。1860(明治2)年に称号を神明宮から天祖神社に改めました。1954(昭和29)年に宗教法人化したことをきっかけに、旧嘉兵衛新田の綾瀬川以西の氏子は、西加平の稲荷神社の氏子として分離しました。 かつては現在の加平2丁目16番にありましたが、1967(昭和42)年、区画整理により、社殿・拝殿を現在地に曳社移転しました。 悪魔祓いの獅子舞 1955(昭和30)年頃まで、7月17日には幼稚園児から中学生までの子どもたちにより、悪魔祓いの獅子舞が行われていました。年番の大人がつき、御幣を持ったお祓い役の子供たちを先頭に、男太鼓と女太鼓が続き、その後を獅子頭をかぶった子ども、獅子の裾をもつ子ども、その後に行列をつくって、午前中は東加平、午後は西加平を悪魔払いしながら廻りました。獅子とその裾をもった子どもは、裸足のまま家の中に入り、悪魔祓いの舞を舞いました。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より)
加平天祖神社境内掲示による加平天祖神社の由緒安土桃山時代後期文禄年間(1592-1595)に伊藤氏の遠祖伊藤嘉兵衛が神奈川県稲毛領より白馬に跨り神明宮のご神体を奉持しこの地に着き、荒無地であったこの辺りの一帯の新田開発に尽力、その功により「やむら」といわれていた地を「嘉兵衛新田」と呼ぶようになり昭和7年(1932)迄正式地名となっていた。 伊藤氏の屋敷神であった神明宮をこの村の鎮守様として旧嘉兵衛新田字菖蒲沼耕地553番地に創建し、昭和42年11月区画整理事業により現在地に遷宮した。 社殿は弘化2年(1845)造営、屋根は遷宮時に萱葺から銅板葺から瓦葺と葺き替えられた。 当所称号を神明宮とお呼びしていたが、明治2年維新により神仏分離に対する政策変更を機に天祖神社と改めた。 摂社として稲荷神社(西加平1丁目)が有ったが昭和29年宗教法人法の施行により、西加平神社と改称、分離独立した。 五穀豊穣、無病息災、家内安全等々を祈願する住民の厚い信仰心に支えられている。(加平天祖神社境内掲示より)
足立風土記資料神社明細による加平天祖神社の由緒東京府管下武蔵国南足立郡(花畑村大字)嘉兵衛新田村新川端 村社天祖神社 祭神 天照大御神。 由緒 「不詳」明治7年4月村社ニ被定候。 社殿間数 本社、間口3尺5寸奥行3尺。拝殿、間口3間奥行2間。 境内坪数 412坪 官有地第1種 境外所有地 田2反5畝26歩、嘉兵衛新田字新川端耕地。時価金59円1銭7厘。畑2反21歩、同所。時価金39円92銭6厘 氏子戸数 86戸 東京府庁迄 4里42町。以上(足立風土記資料神社明細明治10年項より)