大日本者神國也
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おほやまとはかみのくになり。主に西日本方面を中心に大東亜戦期の軍事遺構(国防、軍事関連施設など所謂「戦争遺跡」)、英霊顕頌施設を紹介

第百六十五振武隊 昭和20(1945)年4月24日、明野教導飛行師團に特別攻撃隊編成が下命、佐野陸軍飛行場で待機中の園部昌光少尉は明野陸軍飛行場に移動、5月5日、第百六十五振武隊長を拝命(隊員:枝幹二少尉、杉本明少尉、中川勝少尉、渡邊静少尉、和田照次少尉、三式戰6機)します。 ▲佐野陸軍飛行場における第百六十五振武隊隊員 前列左より中川勝少尉、隊長:園部昌光少尉、杉本明少尉、後列左より和田照次少尉、枝幹二少尉、渡辺静少尉

第百六十六振武隊 昭和20(1945)年4月24日、明野教導飛行師團に特別攻撃隊編成が下命、佐野陸軍飛行場で待機中の坂田瑞男中尉は明野陸軍飛行場に移動、5月5日、第百六十六振武隊長を拝命(隊長以下7名、三式戰7機)します。

飛行第百十一戰隊 (帥三四二一七)昭和20(1945)年1月20日、決號作戰(本土決戦)に向けに策定された『帝國陸海軍作戰計畫大綱』に基づき、4月8日、複雑多岐であった陸軍飛行部隊の指揮系統を一新し、統一指揮するため航空總軍(川邊正三大将)を設置します。6月30日、大本營は決號作戰(本土決戦)に向けた飛行戦力温存策を転換、臨機応変に敵大型爆撃機を要撃する制號作戰(本土防空作戦)を発令します。

22日、飛行第百十一戰隊は編成完結し佐野陸軍飛行場に展開(第三中隊・伊東久暁大尉は由良に派遣)しますが、空中勤務者は編隊長以上を教官・助教の中から優秀者を選抜・編成されたものの、列機は航士五十七期・特操を主体とする未熟舎が多く、訓練用燃料の不足もあり急速な練度向上は困難な状況でした。 ▲飛行第百十一戰隊の五式戰一型(キ一〇〇-I) 尾翼に「明野」の「明」を図案化した部隊章が描かれています

飛行第五十五戰隊 (天鷲一八四二七)昭和19(1944)年3月23日、大正陸軍飛行場(大阪)において臨時編成下令、4月30日、編成完結(岩橋重夫少佐、三式戦)しますが、実戦経験者は数名で大半は少飛十三期生・特操一期生が主体で夜間戦闘可能者も少なく低練度でした。

第百四獨立整備隊 (帥一八九六二)各飛行戰隊の飛行機整備(中間整備)は元々戦隊内で行われ、その後、空地分離により分割され飛行場大隊(整備1個・警備1個中隊)が担当する様になります。しかし、戦域の拡大に伴い外地に進出する飛行戰隊に飛行場大隊が追及できず機材の円滑な運用が困難な状況になったため、飛行場大隊内の整備中隊の人員・資器材を飛行戰隊に転属させると共に、整備中隊を基幹として獨立整備隊を編成し、飛行場大隊は警備・補給中隊のみに改編され補給、警備、飛行場管理等が主任務とになります。

第七十一飛行場大隊 (羽八三七一)昭和16(1941)年3月1日、滿洲國三江省杏樹飛行場において編成完結、航空兵團司令部(鈴木率道中将、新京)隷下に編入されます。

< 主要参考文献 >『戦時下陸軍佐野飛行場の建設と機能の推移』(平成8年3月 横山篤夫『泉佐野市研究』第二号)

『戦史叢書19 本土防空作戦』(昭和43年10月 防衛庁防衛研究所戦史室)

『戦史叢書94 陸軍航空の軍備と運用<3>大東亜戦争終戦まで』(昭和51年5月 防衛庁防衛研究所戦史室) ・・・秋水、陸海軍共同使用の飛行場・基地一覧 『戦史叢書97 陸軍航空作戦基盤の建設運用』(昭和54年4月 防衛庁防衛研究所戦史室)

『陸軍航空の鎮魂 総集編』(平成5年4月 陸軍航空碑奉賛会)

『日本陸軍戦闘機隊』(昭和52年3月 伊澤保穂著 酣燈社)

『土木建設業年間 昭和33年版』(昭和33年11月 土木工業協会、電力建設協力会)

『大阪府農地改革史』(昭和27年7月 大阪府農地部農地課 大阪府農地研究會)

  • 東京第二陸軍造兵廠 香里製造所 (2010/01/03)
  • 大阪陸軍兵器補給廠 枚方分廠 (2010/01/02)
  • 佐野陸軍飛行場(明野陸軍飛行學校 佐野分教所) (2009/05/10)
  • 信太山陸軍墓地 (2009/05/10)
  • 野砲兵第四聯隊 (2009/05/10)

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はじめまして

まだこの佐野飛行場についてだけですが、初めて読ませて頂き、驚きました!目からうろこがこぼれっぱなし!感嘆しました! 私は3月末前から10日間かけて九州の特攻隊ゆかりの地めぐりをしました。まず(福岡県)大刀洗へ行き→自衛隊目達原駐屯地→目達原飛行場跡→甘木生徒隊跡→(佐賀県)西往寺→鳥栖のピアノ→(鹿児島)万世平和祈念館→万世飛行場跡→知覧→鹿屋→(広島県)原爆ドーム→大和ミュージアムと。 そして先日4月の末前、ゴールデンウィークを利用して、再び万世平和祈念館へ行きました。 おかげで、前回西往寺さんでお借りしたDVDを手渡しでお返しすることができました。 一度目に万世平和祈念館へ行った時、娘が「大阪の佐野とか書いてた人がおったで」と言っていましたが、もう会館を出た後で確かめられませんでした。自分の目で見ていませんので半信半疑なところもありながら“佐野で飛行機が来る所って言ったら、もしかしてあの佐野飛行場って鳥居のある所かな…”と、ふと思いましたが深くは考えませんでした。 だけど、二度目の万世訪問でまた娘が「この人やで」と教えてくれた方。確かに『佐野飛行場(大阪)』とありました。しかも、出撃順に並んでいる一番最後の遺影の方でした。この約一ヶ月後には終戦だなんて…。涙です。 前おきが大変長くなりましたが、私は泉佐野市に住んでいます。佐野飛行場のことは鳥居のある『佐野飛行場神社』で知っていましたが、只単に“飛行安全祈願の神社”と今の今まで思っていました。『佐野飛行場』で検索し、こちらへたどり着きました。読ませて頂いて初めてその所以を知り余りに“灯台もと暗し”な自分が情けなくなりました。

  • 2011-05-09(02:44) :
  • cheng URL :
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コメントありがとうございます

chengさん、初めまして! 10日間かけて九州特攻隊ゆかりの地めぐりとは凄いですね。 私も時たま英霊の故地を訪ねますが最長で4日くらいなので、10日となるとかなり密度が濃いものと拝察されます。

佐野飛行場は存在した期間が短く、また資料も少なく、その存在が戦史に興味ある方にしか知られていないのが現状ですので、お近くに住んでおられてもご存じないのは致し方ないと思います。 私が大阪市内在住ということもあり関西が中心ではありますが、この拙いブログで存在を知って頂ければ嬉しく思います。 拙ブログは英霊顕彰と陸海軍の遺構紹介がメインなのですが、他の雑多な記事が多数あるので、画面左手のカテゴリを選択して頂いた方が良いと思います。

  • 2011-05-09(21:45) :
  • 盡忠報國 URL :
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佐野飛行場と枝幹二大尉

元留守飛行兵団、大日本飛行協会関係者の縁者で、佐野飛行場の対岸の関西空港で働いていたものです。 知覧から飛び立った第165振武隊の枝幹二大尉がこの泉佐野飛行場に一時滞在されたようですね。 彼の遺書は平成7年のさだまさし「さよならにっぽん」というアルバムの中の「兵士の手紙ときよしこの夜」の中で朗読されており、現在もyou-tubeで視聴することができます。先年、知覧の記念館を訪問したときその遺書を見たと思います。 それと縁者は戦争における戦闘軍人と戦争指導軍人の違いを指摘しているのですが、終戦時の陸軍航空本部長だった寺本熊市中将が責任をとって割腹自決を遂げたことに「あれは戦闘軍人であったのに責任をとった」と感じたようです。(なお中将の御子息は、和歌山県の隅田八幡宮にて宮司をされています。) さて航空兵として戦闘軍人として戦没された特攻隊の中に半島出身者の方が居たことはご存知でしょうか。 知覧の記念館には私の確認した範囲で6名の半島出身者の方があり、訪問者ノートには数少ないながら彼の地の文字での書き込みがありました。 高倉健さんが映画の題材に取り上げられていたかと思いますが、かの地では売国奴、この地では知られざる者、生命をかけた人が忘れられてはならないと思い、せめて追悼の拙詠を手向けたい。合掌。

まさきくて あはむ日あれや なみはやの 佐野に分かれし 君にも君にも あずさゆみ かけてぞちかふ かささぎの 羽の光も ますらをの風

  • 2012-11-24(14:52) :
  • 空港出張所長 URL :
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Re: 佐野飛行場と枝幹二大尉

特攻隊員に半島出身者が居たことは勿論存じています。 手元の資料では陸軍の判明分しかありませんが、14名が突入散華されています。 戦没者名簿には日本名で書かれているので総数は不明のようです。 彼らに対し戦後、想像や脚色でおかしな解釈がされる事が多いですが、出身地に関係無く日本人の一人として日本人同様に国や愛する人・物のために純忠至誠の精神で征かれたと思います。 現在の平和が彼らの尊い犠牲の上に成立している事は忘れてはならず、今を生きる我々が彼らの顕彰慰霊を行うのは当然だと考えます。

  • 2012-11-24(16:45) :
  • 盡忠報國 URL :
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初めまして

タジヒノマヒトシマと申します。 私は、55FRに所属しておりました北村幸男少尉について調べております。 北村少尉は昭和20年1月18日、常陸KFDより55FRへ赴任しました。 昭和20年2月12日、編隊長として小牧より出撃、お昼過ぎにB29に体当たり、これを撃墜、でもパラシュートが半開きのため、岐阜県で戦死とゆうのが墜落現場の方々のお話なんです。 ところが、北村少尉の戸籍は、14日午前の戦死と記載されています。 北村少尉の親戚一同、私以外は14日が命日だと思っております。 でもいろいろな記録を照らし合わせると、14日では辻褄が合わないのです。 北村少尉の墜落現場には慰霊碑がありまして、慰霊碑の日付は12日なんです。 私は12日として、北村少尉のお墓の文字を彫り替えようと考えております。

  • 2016-02-10(12:58) :
  • 丹比真人嶋 URL :
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Re: 初めまして

まず一次史料です。 飛五十五の出撃記録ですが、戦隊の『戦闘詳報』が閲覧できればすぐ分かると思います。 ただ、戦後に散逸してしまったりで無い可能性もあり、一度防衛省の防衛研究所図書館に問い合わせてみるのが良いと思います。 http://www.nids.go.jp/military_archives/

戸籍が14日戦没となっている事から、可能性は低いですが兵籍簿の開示はされましたでしょうか? 兵籍簿の原本が見れれば、散華された際の詳しい状況が書かれている可能性があります。 陸軍なので本籍地の都道府県の福祉関係の部署に問い合わせれば手順を教えて頂けます。 因みに拙ブログにも手順は上げていますが、自治体により手順が若干異なります。 http://shinkokunippon.blog122.fc2.com/blog-entry-19.html

因みに手持ちの資料『日本陸軍戦闘機隊』にも北村少尉の戦死日時は「20.2.14 名古屋 B29体当り」と記載されています。

私の大叔父も19.3.18に散華しましたが、祖父(大叔父の兄)が建てた墓標の刻字は「19.3.17 戦死」となっており、間違っています。 祖父母とも他界しており何を元にしたのか不明ですが、兵籍簿、靖国神社、護國神社の記録は全て「19.3.18」になっており、私も正しい表示に改修を考えています。

  • 2016-02-10(22:45) :
  • 盡忠報國 URL :
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命日と散華の日

もしかしたら、大叔父様のご命日と戦死の日を混同されて17日と彫られたのかもしれませんね 18日が散華の日で17日が命日となりますからね 大叔父様は英霊様ですので、日本神道の基準はわかりませんが… 仏教では、そうなります

それと、ありがとうございました めっちゃ参考になりました 調査が行き詰まっていて、突破口が見つかりました

  • 2016-02-14(00:51) :
  • 丹比直人嶋 URL :
  • 編集
Re: 命日と散華の日

丹比直人嶋 様 なるほど!そういう事だったのですね! 墓石の表記は「昭和19年3月17日 於ブーゲンビル島 戦死」となっているので、おそらく祖父は命日と散華日を混同したのかも知れませんね。 お陰さまで墓石の謎が解けました。 ありがとうございました。

追伸 訂正ですが「戦闘詳報」は主に海軍の呼び方で、陸軍は同じ性質のものでも呼び方は主に「陣中日誌」でした。 陸軍と海軍では兵器や組織でも同じ物なのに呼び名が異なるのでややこしいです・・・

  • 2016-02-14(14:11) :
  • 盡忠報國 URL :
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