弁護士川口創のブログ
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弁護士の川口創です。企画などを中心にご案内したり、私見を書かせていただいたりしています。

児童の権利に関する条約(子どもの権利条約)は、子どもの基本的な人権を国際的に保障するために定められた条約であり、すでに発行済みの条約であって、我が国も批准している。同条約3条1項には、「児童に関するすべての措置をとるに当たっては、公的若しくは私的な社会福祉施設、裁判所、行政当局又は立法機関のいずれによって行われるものであっても、児童の最善の利益が主として考慮されるものとする」と規定されており、同趣旨に基づき、我が国も児童の最善の利益を考慮した施策を実施する責務を負っているといえる。

「また、幼稚園は、幼児を保育し、幼児の健やかな成長のために適当な環境を与えて、その心身の発達を助長することを目的とする施設であり(学校教育法22条)、学校教育法施行規則38条の規定を受けて定められた幼稚園教育要領(平成29年文部科学省告示第62号)には、幼児教育における注意事項として、心と体の健康は、相互に密接な関連があるものであることを踏まえ、十分に体を動かす気持ちよさを体験し、自ら体を動かそうとする意欲が育つようにすること、様々な遊びの中で、体を動かす楽しさを味わい、自分の体をを大切にしようとする気持ちが育つようにすること、自然の中で伸び伸びと体を動かして遊ぶことにより、体の諸機能の発達が促されることに留意し、昨今、屋内での遊びの環境が充実化し、戸外で遊ぶ機会が減少していることを受けて、幼児の興味や関心が戸外にも向くようにすることなどが明記されている(同要領第2章参照)。子どもらが戸外での十分な活動を行うことがその心身の健全な発達にとって重要であることは広く一般に認められているところであり、園児らが戸外である園庭において遊びを行うことも、上記幼稚園教育要領に適合するものである。そして、充実した戸外での遊びの環境を実現するには、戸外における適切な環境、園庭における適切な環境が整備・確保されることが必要不可欠である。この意味で、園児らは、第三者がみだりに侵害することは許されない法的利益として、適切な保育環境が整備された状況下での保育を享受する利益を有しているといえる。本件における園庭の日照阻害等が受忍限度を超えるか否かを判断するに際しても、原告園児らが上記利益を有することを考慮すべきものである。

★「中高層建築物紛争予防条例は、良好な近隣関係を保持し、健全な居住環境の保全及び形成に資することを目的として制定されており、同条例7条が、中高層建物を建築することによって教育施設等の日照に影響を与える場合には、事業者に教育施設等の設置者との「協議」が必要としているのは、教育施設等を生活の場とする幼児、児童等の心身の育成にとって日照が重要であり、教育施設等周辺での建築については紛争になりやすいことから、建築基準法をクリヤーするだけでなく、できる限りの配慮を事業者に求めるものであって、「協議」は単なる説明にとどまらず、当該施設の設置者らとの協議、話し合うことを必要とする規定であると解される。したがって、事業者は、建築業者目線で考えた日照阻害緩和策を単に説明するのではなく、子どもらに対する日照の確保の重要性に鑑み、高層建築物による児童らへの影響について、最も児童らの立場に立ってその影響を検討することができる教育施設の設置者らと話し合いをすることによって、より実効性のある対応策を「協議」することが求められている

★「被告プレサンスは、本件マンションを建築するに際し、本件マンションによって発生する日照が本件幼稚園における保育にどのような影響を与えるか十分に考慮した上でマンションを建築すべきであったところ、本件幼稚園への日照について一定の配慮をした社内検討案で、本件幼稚園の日照への配慮としては十分であると判断し、日照阻害が園児らに与える影響を園児らの立場に立って最も考えることのできる原告園長らの意見を聴くなどして、本件幼稚園における保育のカリキュラムに与える影響度合いなどの検討を十分にすることなく、本件マンションを建築することを決め、そのため、午後の「クラス活動」は、半年以上日程に日差しがない状況で実施せざるを得なくなり、何らの対応策も講じなければ園児らに受忍限度を超える保育環境の悪化が発生することが予想される事態となったため、原告教会は、本件幼稚園における日照を確保するための対応策として基本財産である牧師館を撤去・解体することを行わざるを得なかった」」

# by kahajime | 2021-05-19 14:55 | 保育

名古屋教会幼稚園 お日さま裁判 原告の主張(4)「園庭」の重要性について

主張の抜粋の最後です(他にもたくさん、日照のことや風害のことなど主張しています) 園庭の重要性 (1)子どものあそぶ権利を支える園庭の重要性 以上でその都度述べてきたように、園庭は、まさにこの子どもたちの「あそび」の「舞台」、成長のドラマの「舞台」そのものである。 園庭は、「名前のある遊び」を楽しむ場、であるだけでなく、四季折々、時々刻々変化する自然の中で、「名もないあそび」を発見、創造する場として不可欠な「舞台」なのである。 近くの公園で代替できるか、という点であるが、たしかに、自然を感じる、という点では、近くの公園であっても、そこで子どもたちは遊び、また、名もなき「あそび」を発見、創造するであろう。 しかし、園庭は、まさに、ホームグラウンドである。 第三者の出入りもなく、あそびを発展させるための遊具、道具が備えられている。 子どもたちの「あそび」は、その日限りで終わるものとは限らない。 その日繰り広げられたあそびの「ドラマ」を、園庭であれば、翌日にも続けて発展させることができるのである。 こうした「あそび」の連続性は、子どもの成長発達にとって極めて重要なことである。 また、外の公園は、他の来園者の存在など、偶然性に支配され、「あそび」の連続性は確保しにくいという面もある。 そして、何より「安心」して、「安全」を確保しながら「あそび」の機会を保障する、という点でも、園庭の役割は極めて重要である。 (2)「園庭」はあそぶ権利の実現の場であること 子どもの「あそぶ権利」の保障のためには「園庭」が重要であるが、どのような「園庭」でもいいというわけではない。 まず、園庭は、子どもの「あそぶ権利」を保障する、という観点から、安全や安心が保障されていることが大前提である。 その上で、さらに、園庭は、子どもたちの心が解放される園庭、園庭に出たら、「ふわぁっ」と心が開いて、からだが動き出す園庭であることが必要である。 園庭は、身も心も活性化させる(ワクワク、ドキドキできる)場であり、また、知的好奇心を高め、冒険心、挑戦心をくすぐる場であり、今日の楽しみを明日につなげることができる場であることが必要である。 その意味で、砂場や遊具は、子どもたちの身も心も活性化させるために大切である。 子どもの「あそび」を豊かにするために、できる限り自然を取り入れたり、子どもたちの想像力が豊かになるような様々な工夫がされた園庭が世の中には多数存在する。 (3)「園庭」は「子どもの適切な保育環境を享受する権利」を保障する場でもあること 子どもたちは、すでに何度も見てきたように、内在的に、「あそぶ」力を持っており、発達する力を持っている。 したがって、仮に、環境が悪くとも、たとえば、戦争中であろうとも、子どもたちはそのなかで「あそび」を見いだし、楽しむ力を持っている。 しかし、だからといって、子どもたちにどんな環境でもいいと、劣悪な環境を強いることは許されない。子どもたちの「あそぶ」力、「発達」する力に、私たち大人が甘えることは許されない。 子どもには、その発達の権利および、あそぶ権利の実現のために、適切な保育環境を享受する権利があり、大人には、これに積極的に答える義務がある。 保育環境を後退させ、劣化させる事態ないし行為に対しては、原則として、子どもの適切な保育環境を享受する権利の侵害があり、子どもの発達の権利やあそぶ権利の侵害がなされているものと明確にとらえるべきである。 # by kahajime | 2021-05-19 14:45 | 保育

名古屋教会幼稚園 お日さま裁判 原告の主張(3)「あそび」の本質について

(3)「あそび」の本質について さらに、上記の事例を前提に、あそびの本質とは何かについてさらに検討を進める。 (ア)この実践例を通じて見えてくることは、子どもたちは、自分たちがしたい「あそび」を自ら見つけていく力を「それぞれ」持っている、ということが見えてくる。 誰に言われるわけでもなく、目に映る園庭のなかの水たまりや砂などに触れながら、それぞれが、自由に、自発的に、名もなき「あそび」を発見し、作りだし、行動に移している。 ここで保育者は、一言も「あそび」の指図をせず、見守っているだけである。 あくまで、「あそび」を見いだし、作り出しているのは子どもたち自身である。 人に言われて「遊んで」いるわけではない。この、自分の気持ちを大切に、自由に「あそんでいる」、それぞれの姿こそ、大切なのである。 言われたとおりの仕事をこなす人間にはなれても、自分で豊かな人生を自ら作り出す力を培うことはできないだろう。 人生の主役として、これからの人生を主体的に生きてゆく力を身につけることはできないだろう。 子どもたちは、この先の人生で、自分自身の「物語」を自らの力で作り上げ、その物語の主役として生きていく力を、今この瞬間にも培っているのだ、ということが見えてくる。 園庭は、まさに、こどもたちが「主体的」に生きる「力」を培う舞台であり、かけがえのない自分の「人生」を自ら作り上げる「力」を培う「舞台」なのである。 (イ)さらに、もう一つ注目すべきは、保育者の「視点」、「まなざし」である。 B子さんとC子さんとが黒砂で型抜きをして遊んだ後、あっさり別々の遊びに向かってしまったのをみて、保育者(Yさん)は「正直がっかりした」と最初は述べている。 この保育者の「まなざし」こそ、子どもの権利条約が大切にする「最善の利益」であり、「子どもの意見表明権」を大切に受け止めるまなざしであり、子どもの権利条約の実践そのものであるいえる。 子どもたちの「気持ち」を一番に、子どもの主体的な「あそび」を尊重し、子どもの発達を支えていく、というこの保育者の豊かな「まなざし」から、私たちは子どもの権利条約の本質を学びとることができる。 # by kahajime | 2021-05-19 14:42

名古屋教会幼稚園 お日さま裁判 原告の主張(2)「あそび」の重要性について

(2)「あそび」の重要性について 「あそび」の重要性について理解を深めるために、すでに提出済みの、「保育のきほん 4・5歳児」(「ちいさいなかま」編集部『ちいさいなかま社』)の実践 例の一つ「(略)」を参考に考えていく。 まず、上記の5つの視点を軸に、具体的に検討する。 この実践例は、4歳児クラスの子どもたちが、前日に降った雨のおかげで、園庭は黒くて湿った砂がいっぱい、という中で繰り広げられた、子どもたちの「ドラマ」を切り取った報告である。 まず、①の生命機能の維持発展、という点について見てみる。 Aくんの、おたまを使って水をペットボトルに入れる、という動作は、指先の機能の発達につながるという点で、生命機能の維持・発展に寄与している。 Fくんのパンケーキ作りも、手指の技が必要であり、こうした「あそび」を通じて、子どもたちの手指の機能の発達につながっていく。 砂場などでのこうした「あそび」は、保育の分野においては、「手指活動」として、子どもの発達に不可欠な活動とされている。 また、雨が降った後の水に触れ、冷たい、ということを体で感じ、水が濁ったり、透明になったり、という自然が作り出す科学的な体験にふれ、また、四季を体感していくことことで、五感の感覚も豊かになっていく。 自然に触れる機会が不足すると、生命としての機能も発達せず、五感も乏しくなってしまい、人間としての機能が十分発達しない可能性がある。 「あそび」はまさに、人間としての生命機能の維持発展として不可欠な役割を果たしている。 次に、②心の発達について見てみる。 キラキラ輝いた雨水をきれいと感じ、密かに企み、ハラハラドキドキする、という、いろいろな豊かな気持ちがAくんの中にあり、同時に、一つのことに集中する力が培われている。 こうした豊かな気持ちや、集中力は、Aくんの人生をきっと豊かなものにしていくだろう。 ③の社会性についてである。 きれいな雨水を巡っての、Aくんと、それに気づいたGくんとのトラブル、そして、それに終止符を打ったHくん、の姿からは、子どもたち自身でトラブルを解決していく確かな力が見いだされる。 ④の想像力についてである。 子どもたちのアイデアの素晴らしさと、楽しんでいく力には感嘆せずにはいられない。 もちろん、想像力は子どもの発達によるし、個人差もある。 一つの同じ「あそび」でも、イメージしている世界も違えば、感じ方も遊び方も変わってくることがある。 その場合、場合によっては保育者が「手立て」をし、手を差し伸べることで、子どもの想像力が膨らみ、楽しく遊んでいける、ということもしばしばある。 それがまた、子どもの「発達」へとつながっていくのである。 園庭は、このように、子どもたちが自ら自由に「あそぶ」空間であると同時に、保育者が、時に子どもたちに必要な「手立て」をすることで、子どもたちのあそびの世界を広げ、発達を保障する場でもある。 保育者は単に子どもたちを傍観しているというわけではなく、子どもたちの「気持ち」(意見表明権で言うところの「意見」)をつかみ、子どもの主体性を大切にしながら、時に必要な「手立て」をしている。 そういった営みが、日々園庭で繰り広げられている、ということを私たちは理解しておく必要がある。 ⑤の「アニマシオン」についてである。 この報告全体からは、子どもたちそれぞれの姿から「面白い、楽しい」というワクワク感、意欲の高まりが伝わってくる。そこに一人一人の「魂の活性化」という豊かなドラマが生まれていることがわかる。 この「ワクワク感」こそが、「あそび」の最も大事な面である。 子どもたちは、一つ一つのちいさな「あそび」を通じて、子どもたちは「面白い」「楽しい」「心地よい」と心が動き、その瞬間、瞬間に、子どもたちの魂は「活性化」している。 その魂の活性化(アニマシオン)の力こそが、子どもたちの心、体、人間関係を活気づけ、子どもたちの成長発達へと導いていくのである。 こういった主体的な「あそび」こそ、子どもの「あそぶ権利」の核心であり、子どもたちが発達をしていく上でまさに中心的で、不可欠な営みである。 この実践例で報告された子どもたちの砂場での姿から、砂場にはそれぞれの子どもの成長のドラマがあることが分かる。 子どもたちが、「与えられた遊び」だけでなく、「名もないあそび」を発見、創造しており、自分で発見し、作り出した自主的、主体的な「あそび」こそ、子どもの発達にとって、極めて重要なのである。 園庭は、子どもが「あそぶ」「舞台」として、子どもが「発達」していく「舞台」として、不可欠な「舞台」なのである。 # by kahajime | 2021-05-19 14:39 | 保育 弁護士の川口創です。企画などを中心にご案内したり、私見を書かせていただいたりしています。 ◆「子どもの権利条約を活かし.. at 2022-02-07 16:40 名古屋地方裁判所 名古屋教会.. at 2021-05-19 14:55 名古屋教会幼稚園 お日さま裁.. at 2021-05-19 14:45 名古屋教会幼稚園 お日さま裁.. at 2021-05-19 14:42 名古屋教会幼稚園 お日さま裁.. at 2021-05-19 14:39