正福寺|青梅市今井にある時宗寺院
正福寺|青梅市今井にある時宗寺院

正福寺|青梅市今井にある時宗寺院

正福寺|青梅市今井にある時宗寺院の今井山正福寺の案内、縁起と所蔵の文化財などを新編武蔵風土記稿や青梅市史等からの引用を交えて紹介。

(今井村)正福寺 除地四段、小名七日市場にあり、館次郎采地の内、除地、亦其家の寄附なり、時宗にて相模國當麻無量光寺の末、今井山と號す、本尊三尊の彌陀、木の坐像長一丈三尺餘、左右の兩尊長一丈二尺許、足の裏に應永二年今井四郎爲菩提とあり、開山阿山一遍上人知心正應二年八月廿三日寂す本堂六間四面、又本堂の西に當て苔をびし五輪の塔大小十七基あり、昔より傳へて應永の年號みえしものありと云のみにて今辯すべからず、土俗の傳へには、今井某が家の古墳なりと云り、其子孫もあらざれば是非をしらず。 鐘楼。寛永八年卯月十三日、住持覺阿彌陀佛とほりたる鐘をさげり。 熊野権現社。境内にあり、社二間四面、木像の大黒天を相殿に置、長五尺、胎蔵にも一體の大黒天ありと云、作しれず。(新編武蔵風土記稿より)

「青梅市史」による正福寺の縁起

正福寺 (今井山金平院) 今井・七日市場(現・今井二丁目)にあり、本尊は阿弥陀如来である。前記(乗顧寺)と同じく神奈川県相模原市の無量光寺末である。開創は正応年間(一二八八~九二)と伝える。時宗開祖の一遍上人は正応二年(一二八九)八月に示寂している。『新編武蔵風土記稿』には「応永年間今井四郎兼平の末孫この地に来り、一丈三尺の阿弥陀仏を造立して足の裏に応永二年今井四郎為菩提と記していた」と記載があるが、この仏像は火災により焼失して今はない。『平家物語』(巻九)木曾殿最後の条で、主君義仲を最後まで守り、ついに 「日本一の剛の者の、自害する手本よ」と壮烈な自刃を遂げた今井四郎兼平の菩提として寺号も金平院と名付けられたのかもしれない。兼平の打死は元磨元年(一一八四)である。二百余年の後、兼平の後裔がこの地に来任し今井の地名も起ったと伝える。寛永八年(一六三一)鋳造の銅鐘銘の記録は残っているが、鐘は戦争中供出された。堂字は文化年間に炎上、後再建された。境内墓地に今井兼平ほか家臣十名の墓と称する五輪塔や宝象印塔があり、風土記稿は応永(一三九四~一四二七)の年号であったと伝えるが、風化が激しく現在では読みとれない。(「青梅市史」より)

正福寺所蔵の文化財

  • 今井氏の墓(指定文化財)