穴山梅雪
穴山梅雪

穴山梅雪

穴山梅雪は何をした人?穴山梅雪(信君)は、現在の山梨県にあたる甲斐国の武将です。武田一門衆でしたが、信玄の没後、勝頼の器量に疑念を抱くようになり、不和が生じます。織田氏の甲州征伐がはじまると勝頼を見限って徳川家康と内通。信長の配下に加わりますが、本能寺の変の騒動に巻き込まれ、非業の死を遂げました。享年42。

信玄の 没後 ( ぼつご ) 、折り合いが悪かった武田勝頼から 離 ( はな ) れて織田氏に 寝返 ( ねがえ ) ります。甲州 征伐 ( せいばつ ) で 甲斐 ( かい ) 武田氏が 滅 ( ほろ ) んだのち、織田信長に 謁見 ( えっけん ) するために徳川家康と 上洛 ( じょうらく ) しますが、本能寺の変に巻きこまれます。家康一行と共に 畿内 ( きない ) から 脱出 ( だっしゅつ ) を図りましたが⋯⋯。

最後と死因

家康と別れたのち 山城国 ( やましろのくに ) ・宇治田原で 土一揆 ( どいっき ) によって穴山梅雪は討たれました。1582年6月21日、死因は殺害。42歳でした。その後、念願かなって長男・信治が武田宗家を 継 ( つ ) ぎますが、ほどなくして他界し、穴山家は断絶しました。

領地と居城

甲斐国 ( かいのくに ) と 駿河国 ( するがのくに ) の国境ちかくにある河内郡が穴山梅雪の領地でした。この土地は穴山家が独自統治することを信玄から認められていました。

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穴山梅雪の性格と人物像

穴山梅雪は「 土壇場 ( どたんば ) で損切りを 間違 ( まちが ) えてしまう人」です。

歴史や伝統がある 銘柄 ( めいがら ) を重んじる気持ちがあり、多少の損をかぶってでも手放しません。しかしながら、先を見る目が 鈍 ( にぶ ) く、名門・武田家の没落という大きな損を引いてしまいました。

本能寺の変のあと、 畿内 ( きない ) から 脱出 ( だっしゅつ ) を図った際にも、家康に同行をすることをリスクと考えてしまったために判断を 誤 ( あやま ) りました。ぎりぎりのところで 惜 ( お ) しい感じは否めません。

出家して 梅雪斉不白 ( ばいせつさいふはく ) を号しますが、本名は穴山 信君 ( のぶただ ) です。

能力を表すとこんな感じ

人の 懐 ( ふところ ) に入りこむ不思議な特技があり、話術も上手な穴山梅雪は 交渉 ( こうしょう ) や引き 抜 ( ぬ ) きが得意です。最終的に自分が引き 抜 ( ぬ ) かれることになったのも因果です。

穴山梅雪の有名な戦い

三方ヶ原の戦い ( みかたがはらのたたかい ) 1573.1.25 ○ 武田軍3万 vs 織田&徳川軍1万5千 ●

天野康景が率いる徳川方の 奇襲 ( きしゅう ) 部隊を、3百の 鉄砲隊 ( てっぽうたい ) で 壊滅 ( かいめつ ) させる働きをしました。

長篠の戦い ( ながしののたたかい ) 1575.6.29 ● 武田軍1万5千 vs 織田&徳川軍3万8千 ○

長篠 ( ながしの ) の戦いで穴山梅雪は敗れています。

穴山梅雪のターニングポイントになった戦いです。自軍の不利を武田勝頼に説きますが無視されます。そのため、積極的な交戦をしないまま帰国しました。梅雪のこの 行為 ( こうい ) が敗因であると指摘され、武田家臣との不和が生じます。

穴山梅雪の詳しい年表と出来事

穴山梅雪は 西暦 ( せいれき ) 1541年〜1582年( 天文 ( てんぶん ) 10年〜 天正 ( てんしょう ) 10年)まで生存しました。戦国時代中期から後期に 活躍 ( かつやく ) した武将です。

15411穴山信友の嫡男として甲斐国に生まれる。幼名:勝千代155313人質として武田晴信(信玄)に預けられる。155818父・穴山信友の出家により家督を相続。156121”第4次川中島の戦い”上杉政虎(謙信)との戦に参加。武田本陣を守備する。156727弟・信嘉が自害する。156828武田氏に内通を試みる今川家臣ならびに徳川家臣の取次を務める。【第1次駿河侵攻】156929今川領・大宮城攻めに参加。【第2次駿河侵攻】157030武田軍が甲斐国に撤退したあとも駿河国・横山城に居残る。157333”三方ヶ原の戦い”徳川氏&織田氏との戦に参加。天野康景を壊滅させる。157535”長篠の戦い”織田氏&徳川氏との戦に参加。決戦に反対し交戦を避ける。長篠で戦死した山県昌景に代わって駿河国・江尻城に入る。158040出家 → 穴山梅雪斎158242嫡男と武田勝頼の娘の縁組みが反故にされる。武田勝頼から離反して徳川家康を介して織田信長の配下に加わる。織田氏、徳川氏の甲州征伐に協力する。武田家滅亡織田信長に謁見するため徳川家康に同行して上洛。摂津国・堺の見物を楽しむ。織田信長が死亡。【本能寺の変】徳川家康に同行して畿内から脱出する途中、山城国・宇治田原で一揆に襲われ落命。【伊賀越え】
  • 穴山信君 – Wikipedia
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  • 武田二十四将 穴山信君 – YouTube
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公開日:2022/07/13 更新日:2026/03/01

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