半ズボン―夏の装い―
半ズボン―夏の装い―

半ズボン―夏の装い―

まだ暑いうちに書いておかねばと思っていたのが半ズボンのことです。 私たち還暦前後のおじさんたちにとって、半ズボンと言えば、膝小僧まで丈のある半ズボン(ハーフパンツ)ではなく、脚の付け根下に丈があり、脚全体がむき出しとなるタイプの半ズボンです。 昭和43年(1968)から昭和52年(1977)の約9年間、武里団地に住んでいましたが、当時の6月頃から残暑のある9月までの時期のいでたちは、何と言っても半ズボンでした。 広島東洋カープの帽子から推察して昭和51年(1976)頃の夏の姿。前年に広島がリーグ優勝して次弟がほしがって帽子を買ってもらった。左から次弟、Q街区、末弟。場所は東京都美術館。半ズボン…

まだ暑いうちに書いておかねばと思っていたのが半ズボンのことです。 私たち還暦前後のおじさんたちにとって、半ズボンと言えば、膝小僧まで丈のある半ズボン(ハーフパンツ)ではなく、脚の付け根下に丈があり、脚全体がむき出しとなるタイプの半ズボンです。 昭和43年(1968)から昭和52年(1977)の約9年間、武里団地に住んでいましたが、当時の6月頃から残暑のある9月までの時期のいでたちは、何と言っても半ズボンでした。

令和7年(2025)の今日、半ズボン姿の男の子たちをあまり見なくなりましたが、昭和の終わりごろは子供たちが多かったせいか余計に半ズボン姿の男の子たちが至る所に普通にいました。 Wikipediaによると、半ズボンの歴史は長いようですが、いわゆる還暦前後の私たちが少年期に履いていた半ズボンは1950年頃から普及が始まり、百貨店が販売したことで都市部を中心に広がりを見せたようです。 1990年代に海外の影響で丈が長くなり、その後はハーフパンツのタイプが主流になり、男の子の間では半ズボンが少なくなっていきました。一方で1960年代から若い女性の間ではホットパンツが流行し、2000年代以降もショートパンツがギャル系の女性の間で引き継がれました。 さて私たち昭和末期の半ズボンの話に戻ると、当時の夏場は今と違って気温30度前後。遊びに忙しく、やたら動くことの多い子供たちにとって半ズボンは長ズボンよりも過ごしやすい恰好でした。当然ながら日焼けします。私も日焼けしましたが、それ以上に次弟は真っ黒に日焼けしました。

それと半ズボンの便利な点がもう1つ。やや下世話な話になりますが、おしっこをする際に男の子のあそこを横合いからヒョイと出して、すぐに用を足すことができたことです。長ズボンだとチャックをいちいちおろして、さらに下のパンツ(当時はトランクスではなく、白い綿のパンツ)から窓を探ってあれを出さなければなりません。だから半ズボンはあれをワープさせることができ、とても便利だったわけです。 一方、半ズボンのデメリットは、転んだ時に膝小僧やほかの箇所に擦り傷ができやすかったこと、また虫刺されなどに遭いやすかったことでしょうか。武里団地は周囲が田園地帯だったので、特に夏場は蚊が多かったため、むき出しの脚は蚊にどうぞ挿してくださいと言わんばかり。当時はあらかじめ皮膚にかける虫よけスプレーなどという気の利いたものは使っていませんでした。 蚊にあちこち挿され、掻き壊して出血、かさぶたができ、また搔いてしまい、かさぶたが取れて出血。秋になってようやく脚がきれいになっていきました。 今でもテレビなどで懐かしの映像が流れる時に半ズボン姿の男の子たちが写ると、気分が昭和に一気に引き戻されますが、それだけ半ズボンが普及していた証左です。