山田神社|横浜市都筑区南山田町の神社
山田神社|横浜市都筑区南山田町にある山田神社の由緒と所蔵の文化財を新編武蔵風土記稿等からの引用を交えて紹介。元妙見社。明治43年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀、山田神社と改称
(山田村) ○神明社 除地、四畝許、村の坤の方村界にあり、大門六十間ばかり、兩側に松の並木ありて鳥居を立つ、本社は小社にて二間に三間の拝殿を造添へり、例祭は年々八月二十日、九月二十一日の兩度に祭れり、神體は木の立像にて長一寸五分、村内長泉寺の持なり、以下十二社ともに同寺の持なり。 ○妙見社 除地、二町歩、村の南中原新道にあり、大門二丁ばかりありて、石階の下に石の鳥居を立、本社は僅に五尺餘に七尺餘、幣殿二間に四間、拝殿六間に三間を造添へり、例祭は四月六日、九月二十六日の兩度なり、神體は立像にて長一尺ばかり、いと古佛なり、當社に元亀三年九月二十二日、石井惣□野□栗原などしるせし棟札あり、其外は文字うせて分明ならず、又一枚は元和三年六月六日とありて、下に名主職□藤左衛門・高野源左衛門・名主八木豊後守・大嶋八左衛門などとあり、いかにも社地古きさまにて老松繁茂せり、社前に石の二王を置く、寛文の銘を刻めり、傍に草庵を設く、これ宮守の居る所なり。 ○八幡社 除地、四畝、村の南にあり ○熱田社 除地、一畝、同く南の方にあり ○熊野社 除地、一畝、西の方にあり ○子ノ神社 除地、北の方にあり ○稲荷十社 村内所々にあり、小祠にしてわづかづつの除地あり、そのうち二社は村内観音寺持。 ○諏訪社 見捨地、二町七段五畝歩、村の北の方にあり、此外社地免四段ばかりは地頭河野伴右衛門寄附せり、神體は束帶の坐像にて、冠の上に蛇の蟠たるを頂きたる状なり、例祭は八月二十日、九月二十六日の兩度にあり、観音寺の持。以下四社同寺の持なり。 ○第六天社 除地、三畝、字日面にあり。 荒神社 除地、四坪、字徳持谷にあり。 ○八幡社 除地、一畝、徳持谷にあり、上屋七尺四方、神體束帶の立像にて長六寸許、此處を土人呼て八幡山と云。 ○子神社 除地、一畝、字権現堂にあり。 (新編武蔵風土記稿より)
神奈川県神社誌による山田神社の由緒 記載なし(神奈川県神社誌より)山田神社所蔵の文化財
- 山田神社本殿附棟札一枚(横浜市指定有形文化財)
山田神社は、明治四三年に近隣の村社である神明神社を諏訪神社・八幡神社・稲荷神社等十四社とともに妙見社に合祀した際、地名にちなんで山田神社と改称されました。社伝によると、諏訪神社は平安時代前期、貞観二年(八六〇)に、妙見社は室町時代中期、文安五年(一四四五)に鎮座されたと伝えられています。 現在の本殿は、棟札により天保十三年(一八四二)の造営であることが判ります。正面柱間〇.九一メートルの小規模な一間社流造で、正面に軒唐破風・千鳥破風を付け、屋根をこけらで葺いています。 この本殿の最も大きな特色は、彫物が多用され、しかも建築とよく調和していることです。彫物はけやきの素木造で、向拝柱には丸彫の竜が巻き付き、壁面には仙人像、欄間には鳳凰、脇障子には鷹に松など主題は多種多様です。 以上のように山田神社本殿は、小規模な一間社流造ですが、素木造の精巧な彫物を多用し、彫物と建築がよく調和した江戸時代末期の、典型的な例として貴重です。(横浜市教育委員会掲示より)