江戸古地図|江戸の町の範囲は現在の東京のどこからどこまでだった?
江戸古地図|江戸の町の範囲は現在の東京のどこからどこまでだった?

江戸古地図|江戸の町の範囲は現在の東京のどこからどこまでだった?

「大江戸八百八町」という言葉を聞いたことがある方は多いでしょう。しかしじつは江戸の町の数はそれ以上に存在していました。この記事では、どこからどこまでが江戸の範囲だったのかを古地図を用いて解説します。 役所によって江戸の町の範囲は異なっていた

そうした状況下の文政元年(1818)8月、目付が伺を提出し、それに基づいて評定所が協議をおこないました。その結果、老中・阿部正精は幕府の公式見解として江戸の行政範囲を確定しました。絵図に朱線を引き、 北は荒川、石神井川(板橋宿、滝野川、尾久周辺)、東は中川(亀戸、平井周辺)、西は神田上水(代々木、角筈、長崎周辺)、南は目黒川(品川宿周辺)までを御府内と定めた のです。朱線で引かれたことから、「朱引内」とも呼ばれます。

現在の地図でいうと、 ほぼJR山手線の内側に江東区と墨田区の一部などを加えた地域が該当 します。

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古地図で辿る歴史と文化 江戸東京名所事典』笠間書院編集部編(笠間書院)

重ね地図でタイムスリップ 変貌する東京歴史マップ』古泉弘、岡村道雄ほか監修(宝島社)

カラー版重ね地図で読み解く大名屋敷の謎』竹内正浩(宝島社新書)

古地図から読み解く 城下町の不思議と謎』山本博文監修(実業之日本社)

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