長泉寺|あきる野市草花にある臨済宗建長寺派寺院
長泉寺|あきる野市草花にある臨済宗建長寺派寺院の薬王山長泉寺の案内、縁起と所蔵の文化財などを新編武蔵風土記稿等からの引用を交えて紹介。関口次右衛門が開基、開明学校地
(上草花村)長泉寺 薬師免除地、田一段一畝五歩、畑四畝、小名久保にあり、禅宗臨済派にて、同郡戸倉村光嚴寺末、薬王山と號す、開山詳ならず、本尊釋迦、木の坐像、長一尺八寸、客殿は五間に七間にして、南向なり、 薬師堂 境内にあり、二間四方の堂なり、薬師は石に彫つけたる像にて、長一尺二寸ばかり、石の大さは長一尺七寸、幅八寸ほどなり、土人云、この薬師は昔時弘法大師行脚のとき、この村の民家某がもとに宿りしに、主の女竹と云もの死けるを不便に思ひて、石面に爪にて彫付し像なりと、されど是等のことはただ里民の口碑に傳へしのみにて、信ずべきことには非れど、姑く傳るまゝをしるせり。(新編武蔵風土記稿より)
「秋川市史」による長泉寺の縁起長泉寺(草花二九六六番地) 山号を薬王山といい、臨済宗建長寺派、五日市町戸倉の光厳寺末であった。木尊は木造釈迦如来坐像。 この寺の開基は関口次右衛門という人で、創立年代は不詳であるが、江戸時代の初めで寛文年間(一六六一~七二)前後であろうといわれている。寛文八年(一六六八)三月の雨宮勘兵衛検地の折に、薬師免として一反五畝五歩が除地となっている。 境内に薬師堂があって、弘法大師爪がきと伝える石造線刻の薬師像を安置している。この薬師の除地であったのである。 開山は教翁念公和光大禅師といい、寛文八年(一六六八)四月四日に入寂している。それから五世の住職が続いたが、経済的に維持困難となり、明治三十八年(一九O五)九月六日、慈勝寺に合寺されて、廃寺となった。(「秋川市史」より)